2013年 02月 12日
天下の奇祭・一関市大東大原の水掛祭に行った
3連休の最終日でした。
「天下の奇祭」というものを見に行こうかと計画していました。
、、、が お昼近くになって 仙台地方は吹雪き! ママはちょっと寒さに怯みました。「やめようか~」と弱気なつぶやきを繰り返しながら もたもたと家事をしていたら 晴れてきた!
お昼をまわってから出発しました。目指すは 岩手県一関市大東・大原です。
東北道の一関I.Cで下りてから 街道を陸前高田方面へ太平洋岸目指して20数キロ延々と走りました。国道が通行止めになって そこがお祭りのゴール地点。国道343号の約500mが水掛の会場です。
近くの特設駐車場に止めて ゴール地点で洗面器を買って準備。気温0度ということでしたが ちょうど本番に吹雪きました。ちょっとドラマチック。
人口16000人の大原地区、このお祭りは1658年からはじまったとういう なんと350年の歴史があるのには驚きました。
男の祭りなので 水を掛けるのも男性のみ、、、ということで 水掛はパパに任せて ママはカメラ係です。
裸男は270名というアナウンスでした。
豆知識です。
「天下の奇祭「一関市・大東大原水かけ祭り」は、明暦4年(1658)の昔から、毎年旧正月18日に行われてきました。この祭りの日が、今日のように2月11日(建国記念の日)になったのは、昭和四八年(1973)からです。みちのくの酷寒の季節、裸男に水を浴びせる行事は一つの驚異であり、それが奇祭と言われる所以であります。
この祭りは、明暦3年(1657)旧正月18日、江戸本郷丸山本妙寺(現・豊島区)を火元とする、俗に振袖火事と呼ばれる大火があり、江戸城天守閣まで焼失し、江戸の街が壊滅状態となったこの日を厄日と定め、火防祈願と火防宣伝の二つを兼ねた祭りとして始まったものと伝えられています。
後年、厄年の人々の厄落としが併せて行われるようになり、今日では、厄落としと諸々の安全祈願が主流をなすようになっており、さらに近年は、1年間の無病息災と大願成就を祈願しての参加者も多くなっています。先頭を切って走る厄男の持つ旗には「火防御祈祷」としたためられてあり、このことは、昔から一貫して火防祈願の精神が継承され今日に至っているものであることを物語っております。(ウチノメ屋敷から転載)
写真日記です。
あちこちに水槽
天下の奇祭 水掛祭り
水掛けるって?
洗面器買って準備
こっちの方がいい?
こちらはゴール地点近く もう出発したとか
吹雪になってきた
ずっとむこうで 水しぶきがあがってる
こっちに来てる
SAKURAは
何事?って
むこうに見える水しぶきで興奮してきた
5区間に区切られて 各区間ごとに足踏みで留まるようです。
塩をまいて道を清める
いよいよ
来た~!
掛けろ~!
道路の南側から水掛ける
なんだったの?あっという間に終わった
ゴールしてから団子になって足踏みが始まる
足踏み これがきつそう
もうぐちょぐちょ
半端じゃねえって
火防厄除祈祷
公民館へ駆けて行った
まさに奇祭。仙台の裸祭りの比じゃない。5区間ごとに納め水を掛けられて全員が団子になって数十分足踏みするのです。耐寒地獄。
SAKURAは水浸しの道路でお腹についた水が凍って シャリシャリと氷をつけていました。祭りが終わってSAKURAをみると 寒さでブルブルガタガタ震えていました。やっぱり寒さに弱くなりました。
大東を後にして陸前高田に抜けました。仮設市場で地元のりんご、お米。お野菜を買ってから 気仙沼でお寿司を食べて帰宅しました。通っただけですが 陸前高田の復興は宮城と比べて遅れていいるように見えました。地理的な問題もあるようです。
マンションの鮭の稚魚が 水面近くまで泳いで上がれるようになりました。
お腹のヨークも無くなりましたね。
「天下の奇祭」というものを見に行こうかと計画していました。
、、、が お昼近くになって 仙台地方は吹雪き! ママはちょっと寒さに怯みました。「やめようか~」と弱気なつぶやきを繰り返しながら もたもたと家事をしていたら 晴れてきた!
お昼をまわってから出発しました。目指すは 岩手県一関市大東・大原です。
東北道の一関I.Cで下りてから 街道を陸前高田方面へ太平洋岸目指して20数キロ延々と走りました。国道が通行止めになって そこがお祭りのゴール地点。国道343号の約500mが水掛の会場です。
近くの特設駐車場に止めて ゴール地点で洗面器を買って準備。気温0度ということでしたが ちょうど本番に吹雪きました。ちょっとドラマチック。
人口16000人の大原地区、このお祭りは1658年からはじまったとういう なんと350年の歴史があるのには驚きました。
男の祭りなので 水を掛けるのも男性のみ、、、ということで 水掛はパパに任せて ママはカメラ係です。
裸男は270名というアナウンスでした。
豆知識です。
「天下の奇祭「一関市・大東大原水かけ祭り」は、明暦4年(1658)の昔から、毎年旧正月18日に行われてきました。この祭りの日が、今日のように2月11日(建国記念の日)になったのは、昭和四八年(1973)からです。みちのくの酷寒の季節、裸男に水を浴びせる行事は一つの驚異であり、それが奇祭と言われる所以であります。
この祭りは、明暦3年(1657)旧正月18日、江戸本郷丸山本妙寺(現・豊島区)を火元とする、俗に振袖火事と呼ばれる大火があり、江戸城天守閣まで焼失し、江戸の街が壊滅状態となったこの日を厄日と定め、火防祈願と火防宣伝の二つを兼ねた祭りとして始まったものと伝えられています。
後年、厄年の人々の厄落としが併せて行われるようになり、今日では、厄落としと諸々の安全祈願が主流をなすようになっており、さらに近年は、1年間の無病息災と大願成就を祈願しての参加者も多くなっています。先頭を切って走る厄男の持つ旗には「火防御祈祷」としたためられてあり、このことは、昔から一貫して火防祈願の精神が継承され今日に至っているものであることを物語っております。(ウチノメ屋敷から転載)
写真日記です。
5区間に区切られて 各区間ごとに足踏みで留まるようです。
まさに奇祭。仙台の裸祭りの比じゃない。5区間ごとに納め水を掛けられて全員が団子になって数十分足踏みするのです。耐寒地獄。
SAKURAは水浸しの道路でお腹についた水が凍って シャリシャリと氷をつけていました。祭りが終わってSAKURAをみると 寒さでブルブルガタガタ震えていました。やっぱり寒さに弱くなりました。
大東を後にして陸前高田に抜けました。仮設市場で地元のりんご、お米。お野菜を買ってから 気仙沼でお寿司を食べて帰宅しました。通っただけですが 陸前高田の復興は宮城と比べて遅れていいるように見えました。地理的な問題もあるようです。
マンションの鮭の稚魚が 水面近くまで泳いで上がれるようになりました。
お腹のヨークも無くなりましたね。
by sakura-corgi
| 2013-02-12 02:03
| SAKURA
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