2017年 12月 09日
新潟への旅 その3 上越・春日山の続き
まだ2日目の続きです。いったいいつになったらこの旅のダイアリー終わるのかな?
2日目雨で出番のないSAKURAでした。ので、まずは3日前の家でのSAKURA。定位置の座椅子におさまっています。真正面はキッチンなので、ママが料理や片付けしているのが眺められます。
と、一昨日空いた新潟の日本酒2本。さらっと美味しい。「鶴の友 上白」は新潟でいただいたもの。「そんなに日本酒が好きなんだったら。美味しいよ!これ。」って。
もう一本は、ママが若いころに関西でも(多分日本中で?)大流行りした「越乃寒梅 別撰」。やっぱりなかなかのもの。
埋蔵文化財センターから、謙信公ゆかりの寺社へ。ずっと雨だったので、SAKURAは車で待機。ママはゆっくり見れました。
まずは見逃せない春日山林泉寺。上杉謙信公菩提所です。
「明応6(1497)年、越後国守護代長尾能景公の17回忌にあたり、長尾家の菩提所として創建されました。ご開山は曇英恵応禅師。それから40年後、能景公の孫上杉謙信公は6世天室光育大和尚に学問を学び、さらに7世益翁宗鎌大和尚について禅のおしえを学び、さとりを開きました。」(パンフレットより)
惣門は謙信公によって春日山城から移築された、往年を寺に伝える唯一の門。
山門は謙信公建立。江戸末に地震によって焼失、大正時代に再建されて謙信公直筆(これは本物が宝物館にあった!)の山号「春日山」と7世益翁宗鎌大和尚から真意を学ばれた{第一義}の大額が再び掲げられている。19歳で春日山城主、40歳で永遠の眠りにつかれ、この寺に葬られた。境内に御墓もあったのですが、雨で見落とした。
宝物館で係りの人に説明していただきました。なんといってもあの2つの大額がありました! ガクトが謙信公祭に来たら、ファンがこの寺に押し掛けるとか。う~ん、あまりイメージじゃないなあ。
本堂は、平成9年、開創500年を記念して建立。本尊は釈迦牟尼仏。
昔はむかって左に修行する建物が多くあり、修行僧も多かったとか。
立派なお寺でした。
春日山城跡にも登りたかったのですが、雨で断念。残念。
次は、春日山神社。
「謙信公を祭神とし、旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り、祭主となって創建したもの。日本近代童話の父と呼ばれる小川未明は澄晴の長男。」(パンフレットより)
境内とてもきれいな佇まいでした。参道の階段がきつかった。
次は、春日神社。
(越後守護上杉氏の氏神。春日山城築城のとき鬼門神として山頂から遷座したと伝えられ、春日山城の名前の由来となった。)(パンフレットより)
とこの日はこれで終了。「天地人」で行きたかったので、春日山城に登れなかった以外は大満足なママでした。
凍えそうな雨の中だったので、温まりに上越市中心街でフレンチの夕食。とても美味しかったワン。(SAKURAは車待機だワン!)
また宿に戻り、鵜の浜温泉につかりました。わん宿うの浜館でした。あったかい宿でした。
つづく